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「 30分で解る『三国志』 (全4回)」
-その3(2/2):「その後の三国志 」-

最初は賓客として「蜀」に招かれた劉備ですが、やがて劉嶂はこのままでは劉備に「蜀」を簒奪されるのではと不信感を募らせ、討伐を決意したところを返り討ちにあい、ついに劉備が「蜀」を治めることになります。

ここに「魏」の曹操、「呉」の孫権、「蜀」の劉備の三国鼎立時代が始まるのです。

この後、三国は互いに合従連衡を繰り返し、戦いを繰り広げますが、建安25年(220年)、年長だった曹操が66歳で世を去り、長男の曹丕(そうひ)が後を継ぐことになりました。

曹操の死とほぼ同時に、劉備が義兄弟の契りを結んだ関羽,張飛が「呉」によって殺され、怒った劉備は孔明の反対を押し切り、「呉」に攻め込みますが、呉軍に破れ、長江のほとりの白帝城(今は『三峡下り』の名所のひとつになっています)に落ち延び、ここで病を得て命を落としました。

劉備は死の直前、見舞いに来た孔明に、「自分が死んだ後は長男の劉禅(りゅうぜん)を守って欲しいが、もし彼が皇帝の地位に値しないと思ったときは、あなたが替わってくれ」と遺言を残します。

劉備の恩義を忘れない孔明は劉禅を帝位につけました。時に劉禅17歳。諸葛孔明は43歳でした。

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