■万里センセイの海馬【毎週木曜更新】
「北京オリンピックと香港競馬(全4回)」
-その4(1/2):バロン西とウラヌス号-
オリンピックの馬術競技ということで日本人が忘れてならないのは、1932年のロサンゼルスオリンピックの馬術大障害飛越競技で金メダルを獲得したバロン西こと西竹一中尉のことでしょう。日本人が馬術競技で金メダルはもちろんメダルをとったのはバロン西がただ一人です。
戦前の日本には貴族制度があり、貴族の家に生まれた西竹一は男爵の爵位を受け、陸軍の軍人になりました。早くから馬術の才能を発揮したバロン西は1930年にイタリアで運命の馬「ウラヌス号」に出会い、この名馬と共にロサンゼルスオリンピックに出場して大障害飛越競技で優勝したのです。
優勝インタビューで彼は「We won(我々つまり自分とウラヌスは勝った)」と答えて、世界の人々を感動させました。西中尉(当時)は、1936年のベルリンオリンピックにも参加しますが、このときは競技中落馬して棄権しています。 西竹一氏は、その後軍務に戻りますが、騎兵から戦車部隊の指揮官になり、最後はあの硫黄島で戦死することになります。
万里センセイの海馬TOP
うまレターモバイルTOP
(C)AnswerCorporation