■万里センセイの海馬【毎週木曜更新】

「政治家と競馬の関係(全4回)」
-その2(1/2):河野一郎と繋駕レース-

河野一郎氏が那須野牧場のオーナーだったことは前回触れましたが、後に、同牧場は、子息の河野洋平氏が新自由クラブを立ち上げる時に、売りに出されて、その収入で新自由クラブが設立されたというエピソードがあります。河野一郎氏は繋駕(けいが)レースが好きで、繋駕競走を中央競馬会から独立させて、独自の競馬場で、開催しようと考えていました。

ところで、皆さんの中には「繋駕レース」という文字を見て、「それ何のこと?」と、頭の中に「?」がつく人がいるのではと思います。繋駕レースとは映画『ベンハー』に登場する戦車競技の戦車を思い出してもらえばいいでしょう。騎手が馬の背に跨るのではなく、馬が引く2輪車の上に乗るのが特長です。

繋駕レースは欧米やオーストラリアでは今でも続いていますが、わが国では1971年を最後に姿を消してしまいました。河野一郎氏がもう少し長生きしていたら、現在でも日本で繋駕レースが見られたかも知れません。

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