■万里センセイの海馬【毎週木曜更新】

「政治家と競馬の関係(全4回)」
-その3(2/2):マルゼン橋本牧場のお嬢さん-

特に1977年6月、中山の日本短波賞レースでは、騎乗した中野渡騎手が途中でゴールを間違えて失速しながらも、再度ムチを入れ、最後に2位のプレストウコウを7馬身差で破るという信じられないレースを展開しました。あのときのTV中継の場面は今でも私の脳裏に焼きついています。

ちょうど当時、世の中はスーパーカーブームだったので、マルゼンスキーにスーパーカーとのニックネームがついたことも思い出しました。マルゼンスキーが種馬になってからは、1988年のダービー優勝馬サクラチヨノオー、1991年の菊花賞馬レオダーバンなど、自分が果たせなかったクラシックレースの優勝馬を数多く生んでいます。

1997年8月マルゼンスキーは心臓麻痺でこの世を去ります。その葬儀の日に橋本聖子さんが、棺にオリンッピックで獲ったメダルを入れたというエピソードがありますが、本当のところは判っていません。
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