■海江田万里の政経と生計のカンケイ【不定期更新】
「海江田万里の政経ダイアリー 2011/07/20号」
「―経済界「視点」『桂林荘雑詩』に寄せて―」
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この詩は、江戸時代後期の日本人が作った漢詩の傑作のひとつである。
作者は広瀬淡窓(たんそう)、もちろん淡窓は号で名は建。豊後の国
日田の出身で郷里の日田に桂林荘という名の私塾を作り、人材を養成
した。この桂林荘に集まり幕末、維新に活躍した人材には、高野長英
や大村益次郎などが挙げられる。
私も何年か前に日田を旅行した折に、桂林荘(その後、名前を咸宜園
に変えた)の跡地を訪問した。今でも当時の塾の一部は残っており、
地元の方が親切に桂林荘の教育方針などの説明をしてくれた。
詩の大意は、
「(桂林荘に集まった若者は)郷里を遠く離れて他郷に来ているが、
弱音を吐くな。同じ綿入れを着た仲間がいるじゃないか。
今日も寒い朝だが、さあ朝飯の支度をしよう。お前は川へ行って水を
汲んで来い。私はかまどにくべる薪を拾ってくる」
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