■【馬ロマン】
第六回目ゲスト:猪木淑郎さん(全4話)
-伯父の一言がきっかけで獣医師に・・・(2/3)-
プロフィール


Q:どのように克服されたのですか?

 その代り、三度の飯より馬乗りが好きになり、その他の自由な時間には小説を読み、好きな映画を堪能していました。


Q:獣医になる為には大学で6年間獣医学を学び、その後国家試験に合格しなければなれないそうですが、途中で挫折したり、進路変更などは考えなかったですか?

 それはなかったですね。

 自分の時代は、獣医学部は4年制でした。

 さすがに国家試験だけは、落ちるわけにはいかないので卒業間近には必死で勉強しましたね。

 自分の周りには気の置けない飲み友達がいっぱいいて、情報交換と称して合宿まがいの事をやるのですが、いつの間にか酒を酌み交しながら、大いに語り合って?いるという始末でした。

 とにかく、4年間落第しないで、国家試験だけは何とか取ろうと言うのが仲間たちの合言葉だったので、目的は達する事ができました。

Q:卒業後、日高軽種馬農業協同組合に勤務し、臨床獣医師として働いていたそうですが、どんな仕事をするのですか?

 ここで又又、伯父の登場なのです。

 自分としては、卒業後すぐに、日高軽種馬農協に就職したかったのですが、たまたま伯父の友人で日本中央競馬会の「優駿」の編集長をしておられた宇佐美恒夫さんに、東大農学部の野村晋一先生を紹介され、家畜労役生理学教室の研究生として2年間学びました。

 現在東大の局教授やJRA総合研究所の楠瀬さんは教室の同期です。

 臨床獣医学とは縁のない日々でしたが、最近話題になっている運動生理学の走りを学んでいた事になりなすね。

 やや遠回りをしましたが、念願の日高軽種馬農業協同組合で働くことになり、勤務地は浦河でした。

 今では、通称「ケイシュバ」で通っていますが、当時は「ケイセイ」、(軽種馬生産組合の略)の呼び名が一般的でした。

 組合には、セリ事業、種牡馬事業、診療事業があり、私はこの診療部門に所属し、日夜、臨床獣医師として、働いていました。

 診療内容としては、生産地にいる馬のあらゆる診療に関わっていました。

 例えば、繁殖牝馬の病気や、「種付け」するための発情を診断する直腸検査、生後の当歳馬や1歳馬の診療、最近では、育成場の現役競走馬等、多岐にわたっています。
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