■【馬ロマン】
第六回目ゲスト:猪木淑郎さん(全4話)
-それぞれの時代、それぞれの思い出(1/2)-
プロフィール


Q:競馬のどんなところに魅力を感じますか?

  ゴール掲示板がすべてを決定することでしょうね。ドキドキ感とワクワク感でしょうか。

  そこに到達する為に、多くの人の手を通り、遺伝学や運動生理学、栄養学、又、騎乗論等を含めた、英知のすべてが凝縮されていて、しかもとても潔いことも魅力ですね。

Q:馬との思い出に残るエピソードで強く印象に残っているものをお聞かせください。(学生時代)

 学生時代でいうと、乗馬では、白井分場(現在の競馬学校)でお世話になった「ダイシンフジ」。

 競馬会の職員が騎乗すると、馬場馬術も華麗に披露してくれるのですが、私が乗ると、必ず一回は落とす奴で、確か「スコット」の子だったかなあ?

 でも、普段はかわいい奴で、友情を感じてましたネ。

 競馬では牡馬の「ヒカルイマイ」と牝馬の「サニールビー」。「ヒカルイマイ」はご存じ皐月賞とダービーを取ったサラ系の二冠馬です。

 初めて競馬のクラシックレースを競馬場のターフで観て、あの末脚にシビレました。
 
 その後の競馬人生の原点です。

 「サニールビー」は「ヒカルイマイ」と同世代で伯母の持ち馬でした。

 牝馬のクラシック路線にも登場しましたが、伯父、伯母はこの牝馬がとてもお気に入りで、勝負は二の次、いつも話題の中心でした。

 繁殖に上がってからは私との関わりが最後までありました。

 ちなみに「メイショウサムソン」の三代母の「エール」は伯父の持ち馬でこの「サニールビー」の妹です。

Q:馬との思い出に残るエピソードで強く印象に残っているものをお聞かせください。(日高軽種馬農業協同組合)

 組合時代(日高軽種馬農業協同組合)はいっぱいいますけど、「トウショウボーイ」とその産駒の「ミスターシービー」

 それにアラブ種牡馬の「エルシド」でしょうか。

 「トウショウボーイ」は当時、日高の「お助けボーイ二世」と呼ばれ、「テスコボーイ」の孝行息子でした。

 「トウショウボーイ」の現役時代はまだ東京にいたので、「テンポイント」との死闘は競馬場で実際に観戦しました。

 すばらしくバランスのとれた馬体で、組合の種牡馬となってからは、わたしの勤務していた浦河に繋用されましたので、毎日眺めていました。

 唯、肝心の『お仕事』には余り興味がなく、苦労しました。

 そのせいかどうか、当初あまり人気がなく、員外の千明牧場の繁殖牝馬にも種付け権利枠を広げ、誕生したのが「ミスターシービー」です。

 当時その牧場には、名牝「ズイショウ」と初供用の「シービークイン」がいて、彼女に白羽の矢が立ったわけです。

 「ミスターシービー」は初子のせいか、やや華奢な体つきでしたが、牧場時代には一度も病気になったことがなく、手をかけたといえば、定期的な虫下し(当時は、経鼻カテーテルで行っていた。)だけでした。

 初出走は2着でしたが、生産者の岡本さんと、この馬の将来について、大いに語りあったものでした。

 その後の活躍はご承知の通りです。

 そしてジャパンカップを彼と二人で東京競馬場まで観戦に行きましたが、惨敗した後の帰りの雨が冷たかったのを憶えています。

 もう一頭は「エルシド」です。

 当時はまだアングロアラブの競馬が施行されていて、アラブ界のドンでした。鶴首で、今にも飛び出してきそうな眼、そして尾離れのよい水平尻。ローマ時代の彫刻を連想する体形に、いつもほれぼれと見惚れていたものです。

 晩年は病に侵されはしましたが、最後まで気丈なアラブの王者の気位を失うことはなかったのを、鮮明に憶えています。

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