橋本聖子参議院議員が北海道日高のマルゼン橋本牧場のお嬢さんということは、競馬ファンの間では有名な話です。マルゼン橋本牧場といえば、1970年代の後半に活躍した悲劇の名馬、マルゼンスキーを生んだ牧場として、広く知られています。
当時、私は参議院議員だった野末陳平さんの事務所で、結構忙しく働いていましたので、競馬はもっぱら場外で馬券を購入して、TV観戦をしていた時期でした。
マルゼンスキーは、「持ち込み馬だからクラシックレースには出ることができないが、めっぽう強い馬が出現した」と大いに注目された馬でした。とにかくぶっちぎりの勝ち方を続け、初出走の中山新馬戦から最後の札幌まで、たった8レースにしか出走できなくても、その全てに優勝して、2位との差合計61馬身という離れ業を達成しました。
特に1977年6月、中山の日本短波賞レースでは、騎乗した中野渡騎手が途中でゴールを間違えて失速しながらも、再度ムチを入れ、最後に2位のプレストウコウを7馬身差で破るという信じられないレースを展開しました。
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【ちょこっとメモ】
橋本聖子(1964年10月5日-北海道生まれ)
自身の実家である牧場で育ち、乗馬やアイススケートが楽しみの場だったと言う。アイススケートに関してはオリンピック出場を果たしメダルを獲得するなど、輝かしい成績を残している。 |
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あのときのTV中継の場面は今でも私の脳裏に焼きついています。
ちょうど当時、世の中はスーパーカーブームだったので、マルゼンスキーにスーパーカーとのニックネームがついたことも思い出しました。
マルゼンスキーが種馬になってからは、1988年のダービー優勝馬サクラチヨノオー、1991年の菊花賞馬レオダーバンなど、自分が果たせなかったクラシックレースの優勝馬を数多く生んでいます。
1997年8月マルゼンスキーは心臓麻痺でこの世を去ります。その葬儀の日に橋本聖子さんが、棺にオリンッピックで獲ったメダルを入れたというエピソードがありますが、本当のところは判っていません。
つづく
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