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【海江田万里 プロフィール】 |
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●1949年 |
東京生まれ |
●1972年 |
慶應義塾大学法学部政治学科卒 |
●1993年 |
衆議院議員選挙(東京1区)に日本新党から立候補、初当選。 |
●2004年 |
岡田克也代表による新体制のもと、ネクストキャビネット(次の内閣)厚生労働大臣に就任、民主党の年金改革案づくりに尽力。岡田代表の再選に伴い、ネクストキャビネット(次の内閣)経済産業大臣に就任。 |
●2005年 |
衆議院議員選挙で惜敗 |
●血液型 AB型 ●趣味 絵画鑑賞、映画鑑賞、読書、漢詩 ●スポーツ 野球、剣道(二段)
●座右の銘 人生意気ニ感ズ ●公式HP http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kaieda/ |
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今月のお話(全5回)
「馬ならぬウシにまつわる話」 |
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2009年の政治は、混乱が必至の情勢です。国民の支持率が低下した麻生総理がいつまでもつかにもよりますが、9月には衆議院議員の任期が切れますから、それまでには必ず、解散・総選挙が行われます。
60年前の1949年は、前年の暮に、吉田内閣に対する不信任案が国会で可決したことを受けて、年明け1月23日に新憲法施行後初の総選挙がありました。
選挙結果は、吉田総理率いる民主自由党が264議席を獲得し、単独で衆議院の過半数を占めました。
第2党は犬養健氏率いる民主党で、獲得議席は69、社会党は一挙に解散前の議席を3分の一に減らす惨敗でした。
吉田茂氏は民主自由党の単独内閣を作ろうと思えば十分できたわけですが、第2党の民主党の分断作戦にでました。
民主党の中の「連立派」に秋波を送り、2月13日に組閣した第3次吉田内閣に、2名の民主党議員を入閣させ、民主党は分裂したのでした。
当時の民主党内の連立反対派には、中曽根康弘代議士もいました。
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【ちょこっとメモ】
吉田 茂(よしだ しげる)
1878年9月22日、東京千代田区にて出生。現在(2009年1月)、第92代内閣総理大臣の麻生太郎氏の祖父としても有名。その功績を表すかのように、戦後唯一、日本武道館で国葬を行われた人物でもある。 |
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わが国の来るべき解散総選挙は、吉田茂首相の孫、麻生総理率いる自由民主党の大勝は望み薄だと考えられますので、ここでは小沢一郎氏率いる民主党が単独で過半数を獲ったとして、60年前の歴史を参考に今年の政治の動きを展望すれば、民主党が野党になった自民党に対して、連立工作を仕掛けると思われます。
自民党の中には、選挙前の現在、すでに民主党にエールをおくる議員がいるくらいですから、選挙後、民主党から連立の呼びかけがあれば、必ず一部の議員は、乗ってくるはずです。
策士の小沢氏はすでに、選挙での自民党敗北、そして分裂となるシナリオをもとに自民党に対する工作を始めているとの噂もあります。
いずれにしろ、選挙後の政界再編の可能性が高いといえましょう。
つづく
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