映画『レッドクリフ』がヒットしています。私も久しぶりに劇場に足を運んで観てきました。コンピューターグラフィックを多用した戦闘場面は迫力満点で「ついつい画面に引き込まれて、ストーリーがすっかり頭の中から飛んでいた」との感想を持つ人も多いようです。そこで今月は、連載4回、合計「30分で解る『三国志』」と題して解説します。
『三国志』は、晋の陳寿(ちんじゅ)が
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【ちょこっとメモ】
軍馬
映画レッドクリフの中にも幾度となく登場する軍馬。戦争などの際に騎乗などができるよう特別な訓練を受けた馬のことで戦馬とも言う。紀元前19世紀「チャリオット」と呼ばる戦闘馬車に使用された馬が記録に残る軍馬として最も古い。
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チャリオットとは兵士を乗せて走る馬車。
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3世紀前半に中国に起こった「魏」・「呉」・「蜀」の三国時代の歴史的な出来事を記録した歴史書です。その後『三国志演義』が出版され、こちらは歴史小説ともいえる書物で、「史実7割、フィクション3割」と言われていますが、多くの中国人によって読み継がれてきました。
映画の『レッドクリフ』も『三国志演義』に材を得ていますので、事実とフィクションの割合はそのくらいだと考えておけばいいと思います。当時、日本は弥生時代で、三国のひとつ魏の歴史書『魏志』の倭人伝に、わが国についての最古の記述が残っています。
『レッドクリフ』つまり『赤壁』の戦いがあったのは西暦208年秋。当時、曹操は53歳、劉備は48歳、諸葛孔明は28歳でした。劉備と諸葛孔明の出会いは、『三顧(さんこ)の礼』といって、20歳年下の諸葛孔明の才能に惚れ込んだ劉備が、孔明の潜む襄陽(じょうよう)の隆中(りゅうちゅう)に礼を尽くして3回庵を訪ねたことに始まります。
今年2月、私は、湖北省、襄樊(じょうはん)市を訪問しました。そこは劉備が孔明を訪ねたとされる土地で、映画のロケ用に作った庵が残っていて、雰囲気は十分偲ぶことができました。『赤壁』の戦いがあったのは、今で言えばまだまだ若造でしかない27歳の諸葛孔明に劉備が辞を低くして参謀になってくれるように頼んでからわずか1年後のことです。
曹操が長江流域の『赤壁』に軍を進めたのは、天下統一のためには、当時、長江の南に割拠して力を増しつつある呉の孫権を打ち破っておく必要があったからです。また、諸葛孔明の助言で孫権に加勢した劉備も、いずれ天下統一の邪魔になると感じて、一挙に両者を滅ぼそうと決戦を挑んだのです。
映画に登場する喬姉妹(呉の孫策(そんさく)と周瑜(しゅうゆ)の妻・愛人)は「二喬」と言われた美人姉妹であったことは事実ですが、曹操が喬美人に横恋慕して、彼女を手に入れることを目的に呉に攻め込んだとの映画の主張はフィクションです。
つづく
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