『レッドクリフ』つまり『赤壁』の戦いで最大の功績を挙げたのは誰でしょう?映画では戦略を練り上げた周瑜(しゅうゆ)、風が東風に変わるタイミングをピタリと当てた諸葛孔明、そして曹操の陣に乗り込んで時間稼ぎをした小喬の三人となっていますが、実際には、もう一人大事な人物がいます。
彼の名前は黄蓋(こうがい)。孫権の父、孫堅(そんけん)挙兵の時からずっと孫家のために戦ってきた呉軍の老将軍です。曹操の軍船が舳(へさき)と艫(とも)をぎっしり詰めて停泊しているのを見て、「焼き討ちをかけよう」と周瑜に建策したのが黄蓋でした。しかし、焼き討ちを成功させるには、火種をつんだ船を怪しまれずに曹操の大船団に近づけなければなりません。
そこで、黄蓋が仕組んだ芝居は、孫権を裏切って曹操軍に降るという密使を曹操に出すというものでした。しかし、曹操も用心深く、
 |
当時、孔明が住んでいた草房
(映画用のセット)の前で記念撮影 |
本当の寝返りか、寝返りと見せて陣中深く攻め込む囮作戦か、怪しんでいます。そこへ、孫権の陣中に潜らせていた曹操軍の密偵から、「黄蓋と周瑜が激しく言い争いをして、黄蓋は衆目の前で周瑜に打ち据えられた」との情報が入りました。
実は、これも黄蓋が仕組んだ芝居だったのです。自分の肉体を傷めて謀をめぐらすことを「苦肉の計」あるいは「苦肉の策」と言うのはこの故事に由来します。ここまで手の込んだ芝居をやられては曹操も、黄蓋の投降を信じないわけにはいきませんでした。
作戦開始の当日、11月20日の深更、折から風が東風に変わった頃合を見て、投降と見せかけ、黄蓋が枯れ草や焚き木を満載した船を曹操の船団に突入させます。枯れ草や焚き木を満載しているので船の喫水が浅いことに気が付いて、「これは変だ」と曹操軍が思ったときには、万事休す。曹操軍の船団は紅蓮の炎に包まれ、曹操はほうほうの態で、『赤壁』を離脱します。
映画では戦いが終わって、周瑜と諸葛孔明が、お互いの健闘を讃え合って、「真の友を得た」と感じあうシーンがありますが、史実では、周瑜は諸葛孔明の明晰な頭脳に触れ「孔明恐るべし」と考え、戦いの最中に刺客を孔明に送るのです。危険を察知した孔明は、早々と戦場を後にして、劉備の軍勢と合流することによって、刺客を逃れます。戦乱の世は「昨日の友は今日の敵」で、映画の場面のようなセンチメンタリズムは存在しません。
つづく
|