みなさんは、「老いたる馬は道を忘れず」というのはご存知だろうか。今回はこの言葉について少しコバナシをしたいと思う。 この言葉の由来は、「ある時道に迷ったものが一緒にいた老馬を放し、その後をついて行くと、正しい場所へ行くことができた」という故事により、「老馬=人生経験の豊富な人とし、そう人生の荒波を乗り越えてきた人は、判断を誤らない」といった意味である。そして私なりに考えてみた。 荒れ狂う時代の中で、我々人間は何を信じ、何を目標に生きればいいのか?子が親を殺害。または、その逆に子を殺害。キレる子に、キレる大人。感情のコントロールが著しく低下している現代。そして、経済不況の煽りを受ける国民に、果たして明日(みらい)はあるのだろうか・・・。 こういう時こそ、長きにわたって培った生きる術を、「老いた馬や老いた人」などから受け賜りたいものである。若者は目上の人間に対し、「年寄りだから・・・、親だから・・・」と、疎ましく思うのではなく、人生の先輩として意見を聞いてみて欲しい。 また、年長者も同様、「今の若者は・・・」と、嘆くよりも、説いて聞く者・聞かぬ者、十人十色にそれぞれいるだろう。ただ、あなたの言葉を必要としている人が、その中にいるということも心に留めておいて頂きたい。 馬に関しては、我々にとって、老いた馬に限らず、競走馬や乗馬施設など、数多くの人生の道標(みちしるべ)がいると思ってもいいのではないだろうか。人が本当にその答えが必要な時、その道は馬によって示されるように思う。 かといって、金欠で馬に懇願し、「勝ちますように・・・」とは、些か如何なものかと思う。 馬であっても、人であっても、一番肝心なのは、焦らず多くの意見を聞き、素直に信じる心を同時に持ち合わせることが大切だろう。沢山の人、馬と出会い、自分の進むべき道を選び、そして歩みだして欲しいと思う。 (2009.1.9)