各メディアは、酒井法子被告の保釈について取り上げ、様々な意見が物議を醸している。子がいて、夫婦共に薬物に溺れてしまう・・・・・・その現実に、子を持つ多くの人へ、大きな波紋を呼んだのはいうまでもない。 私が電車で移動をする途中も、母親たちの会話が耳に入ってきた。薬物にハマる恐ろしさを知らずとも、子がいてなすべき行動ではない、と・・・・・・。 高相夫婦被告達の今後もさることながら、何より一番の気がかりは、罪のないその子供を世間は批判の目ではなく、温かく見守っていくことではないだろうか。 そして、世間に薬物の恐ろしさを知らせることで、薬物は人の人生も、その周囲の人間の人生をものみ込み狂わせるものだという認識を各自がしっかりともつことが大切である。 さて、あまりいい表現には使われることがない「馬の骨」という言葉。 娘の交際相手を心配する父親などが、「どこの馬の骨とも分からんやつを・・・・」といった形で用いられることが多いだろう。 この言葉の語源は中国。「役に立たない」と言った意味合いで用いられる代表的なものだそうだ。 一に鶏肋(鶏の肋骨=小さすぎて役に立たない)、二に馬の骨(大きすぎるうえに、処分にも一苦労)といわれている。このような意味合いから、誰からも必要とされず、また、役に立たない者の代名詞となったのだ。 さらには、「大人であるが、その職業や成長過程が定かでない」場合など、前述の父が娘の交際相手に言い放った言葉のように、用いられるようになった。本来、「骨」という漢字の意味には「人柄」の意味もある。そのために、現在までに少しずつこのような意味の言葉に変化したのだろう。 どこの馬の骨とも・・・・・・と言われぬよう、どんな職業であっても自分自身に誇りを持てる生き方をしたいものである。 (2009.9.18)