12月に入り、今年も残すところ僅かとなった。例年よりは、底冷えのする寒さは、まだ関東には上陸していないように感じる。 このところ、インフルエンザが再び猛威を奮い始めたことに多くの人々が心を悩ませていることだろう。自己の予防は勿論のこと、感染した後の対処も、その後長引くか大きな分かれ目になる。手洗い嗽を始め、換気や湿度管理もしっかりと行い、年末年始の多忙期に備えて欲しいと思う。 さて、今回は前回の第二弾で、ギリシャにまつわる蹄鉄のコバナシをお届けしよう。 その昔、古代ギリシャでは、王族たちが財力=権力を示すため、金銀の蹄鉄を馬にはかせていた。ただ、その馬にはかせた蹄鉄にはちょっとしたからくりがあった。サンダルのように馬の足に巻きつけた蹄鉄。勿論、しっかりと安定するはずもなく、歩いていると次第に緩み、いつしか外れ落ちてしまうのだ。その蹄鉄を市民たちは心待ちにしていた。 なぜなら、その蹄鉄の原料は、「金や銀」だからである。それを売れば、それ相応な金になると、王族のパレードには多くの人々が列を連ね、群がるように行われたそうだ。 そして、王族たちもまた、市民たちの群れが自分たちの権力であると称し、パレードなどに使う蹄鉄は考慮していたそうである。 そうした、馬の落とした幸運(=蹄鉄)を手に入れた市民は、金銭的にもゆとりがもてるようになったのであろう。落とした幸運は、王族のものではなく、手に入れた市民のものになるというのも、王族が上手に市民を支配していたかが伺える。 ただ、ここまでのコバナシは、王侯貴族、そして市民共に「人々には」嬉しいものだが、当の馬は、何度も、足にかみ合いにくい靴(蹄鉄)をはかされたりと、些か、かわいそうな感じが否めないのは私だけだろうか。 いつの時代にも、人間本位の考えが先行しがちなところがある。しかし、この馬の落とす幸運により、馬を崇める人も少なからずはいたことを私は信じたいと思う。 そして、幸運の裏には、その幸運を手放したものがいるということ、それに感謝する心を持ち合わせること。これらの気持ちが何より大切であり、そうすることが本当の幸運を人々や動物にも、いつまでも伝えられるのではないだろうかと思う。 (2009.12.4)