早いもので2010年も、下半期に差し掛かった。皆さんの上半期はいかがなものだっただろうか。国内外共に様々なおめでたい出来事から悲惨な出来事まで、この2010年も色々とあったように思える。この時期の近況としては、不景気といわれる中、一番の期待はやはりボーナスではないだろうか。日々の仕事にやりがいを持って勤しんでいく方もいれば、ただ何となく日々が過ぎていく方など、様々いるだろう・・・。後者になりつつあるのであれば、「給料泥棒」と揶揄されることなく、日々の業務に自分なりの楽しみと工夫を見出して欲しい。 さて、今回のタイトル「盲導馬として生きる道」だが、普段、世間一般的に知られているのは、選ばれた犬が、訓練を受け「盲導犬として生きる」のが通例だろう。しかし、世の中には、我らが愛してやまない「馬」、今回はミニチュアホースが盲目の人の手助けをするコバナシをお届けしよう。 アメリカでは既にこの「盲導馬」が少しずつ活躍の場を広げているようだ。盲導犬ならぬ、盲導馬に需要がみられるようになったのには、理由がある。 まず第一に「寿命」。犬は平均10〜12年に対し、馬は20〜30年程と、寿命が長いことが挙げられる。たった10年程の刻みで、幾多もの別れを経験しなければならない飼い主にとって、これほどまでに深い悲しみに陥ることは、なるべくなら最小限にしたいもの。また、衣食住を共にする人間に対するアレルギー反応が、馬は犬に比べると比較的少ないとみられているため、犬よりも馬の訓練に少しずつ力を入れ始めているようだ。 犬は、忠実に主人に尽くす性質で、スキンシップも互いにしやすい動物であるが、馬も人間の「心理・感情」の汲み取りは、他の動物に勝るとも劣らず非常に長けており、そのような様々な面において、犬と遜色ない力をみせるとし、盲導馬として認められてきている。 犬も馬も、人間にはない、動物だからこそ発揮することのできる能力がある。日本ではまだそこまで浸透していない盲導馬だが、この先長い目で見れば、いずれ、「盲導犬派」か、「盲導馬派」を選択できる日がやってくるかもしれない。 (2010.7.2)