今月に入り都内から始まった、100歳を超える高齢者の相次ぐ消息不明のニュースに、少し異様な感覚をおぼえると同時に、これまた市区町村の管理怠惰と、叩かれることが増えそうだ。中には、生存確認が身内も分からずのまま、数十年もの間、年金が支給され続けたりと、不可思議なほころびが一本見えると、次々に新たな問題が明るみになってきている。早急に、再発しないための対処は勿論のこと、その消息不明の方達の安否が気になるところである。 さて、今回は島崎藤村と馬の関係についてのコバナシをお届けしよう。 藤村が生まれた場所は、岐阜県の中津川である。少し前では、長野県木曽郡山口村だったが、2005年に越県合併で、現在の岐阜へと変わった。藤村が生きていたときは「中山道」・「東海道」と、京都と江戸を結ぶ大動脈な存在であった。この「中津川」は「中山道」の一つに入り、馬籠宿(まごめじゅく)という宿街として栄えていた。東京・板橋を一番目とし、この馬籠宿は43番目の宿とされていた。 この馬籠付近は山道を開拓したこともあり、坂道が多く、そこに石畳を敷き、道を舗装し築き上げたとされ、その様子は風情あるものとして訪れる観光客に好評で、その昔は、「坂のある宿屋」として有名だった。この石畳の道に沢山の店が連なり、賑わいを見せていた。 また、馬籠には、藤村自身が生まれた生家がまだ健在し、文豪ファンにはたまらないものが点在している街でもある。街中を散策すると、芭蕉の句碑などもあり、子供の自由研究から、文豪好きの大人まで幅広く楽しめる街である。 今、時代は空前の歴史ブーム。この機会に、あなたも馬と関係のある歴女・歴男になってみてはいかがだろう。 (2010.8.6)