北朝鮮の砲撃事件で菅首相は「朝鮮学校の無償化を一時的にストップ」と発言。 これを受け国会は、更にヒートアップした。また、連日報道にもあがっている「空白の70分」、首相の判断対応力の迅速さに欠けるなど、様々な意見が飛び交い、国会は大揺れ状態である。 さて、今回は、「不羈独立(−ふきどくりつ)の精神」について、コバナシをお届けしよう。今年一年は「坂本龍馬の年」といえるほど、全国各地で「龍馬伝」ブームが巻き起こっていたように感じる。そのドラマの中の台詞で、特に彼の志す座右の銘として、「不羈独立」が挙げられていた。意味としては「不羈」とは、「自由奔放で束縛しえないこと。そして、才知が人並みはずれて優れており、常規では律しきれないこと」を言う。また、全体的な意味合いとしては、「他から何の束縛も受けないこと。何の制約も受けることなく、自らの考えに従って行動をとること」とされている。 この言葉を聞いて、最近はこういった精神をもった若者が意外かな、増えているように思えたことだ。それは、昔に比べ、高校卒業後の進路に対し「大学が全て」と言うのはやや薄くなり、美容師やスタイリストなどの手に職をつける者や海外留学など、多岐にわたって、選択肢が広がっているのも手伝ってか、「ただ漠然と大学へ行けばいい」という考えの若者が減っているように思えたのだ。 会社も定年まで面倒みてくれるか分からず、金融危機もまた再び起こらずとも限らない。これからの日本、そして世界を担う成人した若者は、様々なしがらみに苦悩し、多少の制限・制約があるのは致し方ないことかもしれない。 だが、昔の坂本龍馬が掲げた、この「不羈独立の精神」をどこか意識し、様々な困難にぶつかった時は、多くの声を拾い、自身が出した答えを信じて、毎日を一歩ずつ歩み進めて頂きたい。 (2010.11.26)