2月後半のこの時期、受験生は勿論、学年末テスト前の生徒も増え、昼過ぎの少し早めの時間でも、学生服を着た生徒をよくみかける。校則違反であろう、PSPなどのゲームや携帯でメールやアプリをしている子もいれば、必死に勉強している子など、学生の世界も様々であるな。また、近所にある女子中高一貫校では、ほぼ皆「集団マスク」で下校。学校からの指示か、自己管理として自らかはさておき、何やらこれも不思議な光景であると感じていた。 さて、今回は「NZ大地震」についてコバナシをお届けしよう。 このニュースがTVの速報から飛び出したとき、「えっNZで!!」と友人と驚嘆していたのを覚えている。それほど、「地震」とは縁遠い国・地域だという認識があったからだろう。ましてや、現地にいる人々も「なぜ、ここ(NZ)で地震が!」と驚きから一転、恐怖へと、その動揺は隠せないだろう。 わたしも15年前の阪神淡路大震災の被災者なので、大方、地震の恐怖という感情は理解しているつもりだ。東京でも地震は多いが、倒壊するほどまでの大震災はこの数十年ない。しかし、新潟や中部など国内は勿論海外でも大規模な地震が起こったニュースを見ると心痛が止むことは無い。実際、少し大きめの揺れが起こると、あの震災の恐怖が蘇る。これは、心よりも、身体の記憶といった方が適切かもしれない。 阪神大震災で数多くの犠牲者が出たのは「まさかの地域」だったのが理由の一つとして挙げられるだろう。この数十年、関東圏は地震の都市といわれるほど頻繁に起こっていたが、関西圏はあまり地震に対しての免疫はなかった。それは、今回のNZにも言える。 地震に対してそこまで警戒心の強い国ではなかった。それが、まさかの大惨事=大震災が起こるとは誰が予測できただろうか。そして、人種問わずではあるが、連日報道で取り上げられる邦人の被災者たちには、胸が痛む想いで一杯だ。中には救出の際、ひざ下の足を切断された若者もいたというから、ただただ可哀相でしかたない。 日ごろから、数日分の食べ物や水の確保。また、ガスボンベなど火の確保も重要である。国は違えど、今ある危機は、いつ我々に降りかかってくるかは分からない。ただ、それにびくつき怯える毎日ではなく、そうなったときの安心材料があれば、逆に日々の生活も謳歌できるとわたしは信じたい。 そして、NZの被災者達が早急に救助されることをスタッフ一同祈っている。 (2011.02.25)