3月に入り、専門学校などを含む各教育機関は、卒業式ラッシュ。街のあちらこちらで、卒業を楽しむ若者たちの光景がよく見られる。また、大学を卒業する人たちは、この時期、卒業旅行や引越しなど春からの新生活に向け充実した多忙を極める月となるだろう。 さて、今回は「復興一年目の足跡」について書いてみよう。「復興」と聞いて、思い浮かぶのは、日本国民なら誰もが一致して、「東日本大震災」だろう。今月11日、明後日であの日本中を震撼させた「3・11」「東日本大震災」から丸一年が経つ。人によっては長かった、短かった一年間。そして、何より被災地では今もなお仮設住宅や復興途中の段階のものが数多くあり、生活苦の中暮らしている人々も多い。 また、福島の原発問題もなぜかこのところ、報道が少なくなってきているように思える。実際問題として、日本に住む住人にとって、今日本で発生している問題の把握は、この後の人生を左右するといっても過言ではないくらい、こと原発に関しては非常に敏感な問題である。 ある深夜の被災地の農家を対象とした特番で憤りを感じたものがあった。取材で現地を訪れ、インタビューに受けた農家の母親は「生活のために出荷していますが、子供たちには食べさせないです・・・」と俯きそう応じた。普通なら、「放射能など、害のあるかもしれない農作物をなんで売っているのだ!!!ましてや、自分たちは食べないのに売るなんてもってのほかだ!」と非難の嵐になるようなもの。しかし、生計を農家で立てているところは、それがなければその年の生活ができなくなる。制限がなければ、少しでも生活を、子供たちを食べさせるためにと親心としては当然のことかもしれないと感じたのを覚えている。 同時に、今回のことがあまりにも予想外だったにしろ、国の反応が非常に遅すぎたことに苛立ちを隠せないのは国内外で問題となっているほど。冷静に、より正確に、そして国民の混乱を招かぬよう・・・というのは、建前で、本音は他人ごと・・・のように思い行動しているのではないかと不満不安は募るばかりである。 そんな中でも、着実に国内外を通してのボランティアの方々や、地元、被災地の懸命な頑張りで少しずつ、少しずつ前進している現状もあるのは事実。今回の震災では、多くの尊い命を失うこととなり、3月11日が訪れるたび、そのことを思いだすだろう。しかし、この出来事を忘れず、生き生(活)かされている意味をもう一度考え、復興の足跡を一歩、また一歩と胸に刻む、進み続けたいと思う。 (2012.03.09)