今月8日(日本時間9日)、アメリカで歴史的名馬である「ジョンヘンリー」が、ケンタッキーホースパークで死亡した。32歳と老齢で体調が悪化し「安楽死」の措置をとったと言う。 馬も我々人間も同じ生き物として「死」というものは、何とも言いがたい悲しみがある。 しかし、このジョンは悲しみだけではなく、数々の「思い出という名の勇気」を我々に残してくれた。 ケンタッキー州の鹿毛馬で、父はオールボブバワーズ、母はワンスダブル(その父ダブルジェイ)と、マイナー血統だった。だが、競走馬としてのその活躍は高齢までと長く、6歳(81年)と9歳(84年)で「米年度代表馬、エクリプス賞」に選ばれたほどである。 気性が激しく、あまり活躍の場がないまま馬主・調教師を転々と変わっていた。 そんな、暴れん坊ジョンも、5歳でその素質を開花。この年は、GV→GU→GTと徐々にクラスをあげ、気づけば6連勝と実力を魅せ付けた。 7歳のとき「第二回ジャパンカップ」の招待馬として1番人気だったが、13着と大敗のスランプ。 しかし、9歳で再びその実力を取り戻し、4回ものGT勝利を獲得。 引退レースにも勝ち、「ジョンヘンリー」はその存在をファンに堂々とアピールした。 このジョンの競馬界での起伏の激しさは、言葉としては相応しくないかもしれないが、「じゃじゃ馬の底力」と私は感じた。 その回復力も含めて、目を見張るものをジョンはもっているような気がしたのだ。 今は天国で他の競走馬や調教師達と仲良く、地上での競馬界、馬関係のファンなど、みんなをきっと見守ってくれていることだろう。 「ジョンヘンリーよ、安らかに、そして我々に沢山の思い出をありがとう」 (2007.10.12)