「馬主への道」を第一回、二回と、「個人・法人・組合・一口」、それぞれ4種類の馬主について述べてみたが、皆さんの思う馬主の印象と照らし合わせてどう感じられただろうか。 予想を遥かに超えた金額、または反対に、数年で自分の馬が手に入るかも知れないと、希望を新たに見出した方など思い思いのことだろう。 みなさんが馬主というものを考え、そして馬を考えたとき、出会うべくして出会った馬は、やはり競走馬人生を終えても温かく見守って欲しいと切に願っている。 競走馬になるまでは不安よりも期待や希望、そして一頭一頭が魅せるレース場での雄姿に心を躍らせることだろう。 だが、故障などで引退を余儀なくされた後、どうするかが馬を愛する上で一番核になるような気がするのだ。 金額的に損失となる馬もいるだろう。結果、割合で言えば、損失>利益と言うのが半数を超えるかもしれない。 しかし、金額以上の何かを教えてくれる、気付かせてくれることも必ずあると私は思う。 不意に知り得た発見や情報は損得だけを計って生みだされるものとは限らない。そのものをよくみる「審眼」と「愛情」こそが、それらを生み出すきっかけとなるのだ。 単純にも「馬主」とは自分の所有する、その「馬の主(あるじ)」であることを意味するのだ。然らば「主」とはどうあるべきかを考えて上で、馬と接して、馬に一番近い存在で見守って欲しいと思う。 (2008.5.30)