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馬車道からの贈り物

 横浜市中区にある道路、及び地域名として知られている「馬車道」。
 2004年、東急東横線から横浜高速鉄道みらい線の開通に伴い、その地域の駅名に馬車道と名付けられた。

 「馬車道」と聞くだけで色々と想像が膨らむのは読者の皆さんも同じではないだろうか。
 「馬」と聞くとなぜか気になってしょうがないのだ(笑)
 「馬」と付く由来はなぜか?いつ頃できたのか?それにまつわる話はないか?など・・・。

 「馬車道」は幕末時代、横浜港の開港により吉田橋に関門を設け、そこへ通じる道として作られたそうだ。
 アメリカとの日米通称修好条約(1859年)が結ばれると、貿易のために外国人居留地が関内にできた。

 関内と横浜港を結ぶ道として活用され、当時外国人は馬車で往来。その珍しい光景に「異人馬車」との異名もあがっていたそうだ。

 「乗り合い馬車」ができたのもここが元と言われ、吉田橋〜東京間を2頭立ての6人乗りで行っていた。東京までの平均的な時間は4時間ほどと言われている。

 また、港町の多くは「外国との玄関口」とされ様々なユニークなものがあった。今の時期の定番ともいえるアイスクリームもまた、この馬車道が発祥の地だと言われている。

 そしてこの場所には、煉瓦で舗装された道路、ガス灯など、その時代を感じさせる町並みがいくつか今もなお残っている。
 また関内には近代洋風建築も残っており、馬車道を歩けば、なぜかその時代に生きていなくとも、どこか懐かしさを感じさせてくれるものがある。
(2008.7.18)


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